SPECIAL 2021.01.25

文化財の保存・展示は温度と湿度が重要?研究員に聞いた東京国立博物館の舞台裏

Average temperature of the exhibition room 22℃

博物館には世界各地から集められた、さまざまな時代の貴重な文化財が展示されています。それらの展示物はどのように保存・管理されているのか、気になったことはありませんか? そこで、日本で最も長い歴史を持つ東京国立博物館に取材に行ってきました。日本を中心とした東洋のあらゆる国や文化の美術作品、歴史資料、考古遺物などを所蔵している東京国立博物館。貴重な文化財を保管するためにどのようなことに気を配っていて、どんな展示方法をとっているのか、研究員の和田浩さんに伺いました。博物館の収蔵・展示・輸送環境について研究している和田さんと実際に展示室を巡りながら、温度・湿度管理や博物館の展示ケースに隠された秘密について教えていただきました。文化財保存のプロがおすすめする博物館鑑賞法もご紹介します!

Writer:末光京子/Photographer:橋本千尋

今日お話を伺ったのは……

東京国立博物館学芸研究部保存修復課環境保存室長/博士(学術) 和田浩

2000年より東京国立博物館に勤務。文化財の劣化予防を目的とした、博物館の収蔵環境、展示環境、輸送環境に関する計測・解析・改善計画立案と現場管理を主な業務として活動。近年は輸送中に生じた振動に対する文化財の素材の応答特性と蓄積疲労との関係を検証するテーマで研究している。

文化財にとってベストな環境は温度22℃、湿度50〜60%

はじめに東京国立博物館の特徴について、教えてください。

和田浩(以下、和田)

当館では、2020年4月現在で国宝89件、重要文化財646件を含む約12万件の文化財を収蔵しています。展示館は敷地内に6ヶ所あり、本館では日本の美術を、東洋館では東洋美術を、法隆寺宝物館では法隆寺献納宝物を展示しているんです。平成館は1階に日本の考古遺物の展示室、2階には特別展専用の展示室があります。ほかに、洋画家黒田清輝の作品を展示している黒田記念館があり、表慶館は当面、特別展や催し物開催時のみ開館します。

また、大きく分けて総合文化展と特別展があります。総合文化展は、主に所蔵品と寺社などからお預かりしている寄託品を常時約3000件展示。特別展は毎回テーマを設定する大規模な企画展示で、年3回~5回程度開催しています。テーマによっては、全国各地または世界中から作品を集めることもあるんです。

東京国立博物館の構内マップ 

実際に来てみると、博物館の規模が大きくて驚きました。和田さんの仕事内容についても教えていただけますか。

和田:簡単に言えば、博物館環境を文化財にとって安全なものにすることが仕事です。文化財は多くの時間を収蔵庫で保管し、ときどき展示室で陳列されます。長期間展示していると傷んでしまうので、展示物を入れ替えて収蔵庫に戻す、ということを繰り返します。

このように文化財は収蔵庫と展示室を往復しているので、そのたびに輸送も発生します。それぞれの環境によって一気に劣化しないよう、収蔵・展示・輸送の3つの環境を安全なものにすることを目指しています。

文化財を劣化させる主な原因はなんでしょうか?

和田:大きく分けて3つの要因があります。まずは物理的要因。例えば、地震で激しく揺れて文化財が折れたり落下して割れたりといった変化です。次に化学的要因。空気中の汚染物質が文化財の素材と反応してさびたり、照明や紫外線が含まれた外光を浴びることで変色・退色が起こったりします。最後は生物要因で、虫やカビによる劣化があります。

こうした要因による劣化は、文化財が勝手に起こすわけではなくて、まわりの環境が影響を及ぼした結果、起きるわけです。ですから、環境を整えることになるのですが、そのとき大きなウエイトを占めるのが温度と湿度のコントロールと言えます。

なるほど。文化財にとってベストな温度と湿度はどうやって決まるのですか?

和田:温度に関しては、実は低ければ低いほうがいいんです。絶対零度、例えば約ー273℃であれば、どんな素材でも保存できるのですが、それでは展示も収蔵もできませんよね(笑)。結局、人間が鑑賞できる環境が現状の文化財の展示条件になっていて、だいたい室温は20℃前後。

このように適切な温度については、そもそも文化財は何のためにあるのか、何のために使うべきなのか、というところから導かれた基準です。湿度については、文化財を構成する素材ごとに状態を安定的に維持できる数値が研究されていて、その結果、だいたい相対湿度で50〜60%が最適とされています。

展示ケース内の温度と湿度はどのように調節しているのでしょう。

和田:温度に関しては、展示室と展示ケース内部の数値は同じくらいです。展示ケース単体で温度を調節するというより、博物館の建物全体で調整しています。湿度に関しては、展示ケースの中に調湿剤をセットすることで、一定の数値を維持できる仕組みになっています。

温度と湿度は別物として捉えがちですが、展示ケースのような密閉空間の中では、温度をあげれば内部の湿度は下がり、温度を下げると湿度は上がります。温度をコントロールすることが、間接的に湿度にも効いてくるんです。調湿剤の性能にも限界がありますから、温度が急激に変動しないような環境に維持してあげないといけないんです。

他にも気にされている環境の条件はありますか?

和田:文化財を展示する以上は人工の光を浴びることになります。そうすると、光に対して弱い素材の場合は劣化が進んでしまいます。物質の表面に照射される光の量を「照度」という単位で表現するのですが、素材によって最大照度が決まっていて、当館ではその照度を調節したうえで展示期間を制限しているんです。

例えば、1年間で4週間しか展示しないなど、作品が劣化しないよう、素材や状態によって期間を定めて定期的に展示替えを行っています。

展示ケースに隠された文化財保存のためのテクニック

ここからは、展示室をまわりながらお話を伺います。この東洋館13室では、インド北西部のカシミール地方に生育するカシミヤ山羊からとれた毛糸でつくられた、カシミヤ・ショールを中心に展示しているそうですね。大きなガラスの展示ケースに飾られたショールは迫力があります。

和田:フレームの少ない、ガラスをふんだんに使ったケースを用いることで、見やすい展示を目指しています。このくらい大きなケースになると、普通のガラスではプロポーションを維持できないので、強度の高い合わせガラスを使っています。

合わせガラスとはどんなものですか?

和田:2枚のガラスを透明なフィルムで接着したガラスです。ガラスの中間層にフィルムがあるため、ハンマーで叩くとヒビは入りますが、破片が飛び散ることはないので、地震対策になります。紫外線を含む光が当たっても、フィルムによって除去できますし、外部の温度が伝わりにくいといったメリットもあるんです。

展示ケースの配置はどのように決めているんでしょう。

和田:このケースのガラスは中央から左右にスライドして開く構造になっています。ということは、ケースの左右にスペースが必要になります。そのような条件によって、ケースの配置は自ずと決まってくるんです。展示室は自由なようでいて、意外に制約があります。

次は東洋館5室にきました。こちらでは中国青銅器を中心に、祭礼品や楽器、武器や馬具を展示しているとか。入ってすぐに美しい曲線を描いた、大きな展示ケースが目に飛び込んできますね。

和田:こちらのケースは合わせガラスを湾曲させていて、それに合わせてケース内の展示台も湾曲させています。デザイナーとのディスカッションでデザイン的に面白みのあるものを設置することになったのですが、このケースは展示ブースを区切る役割もあるので、壁のようなものになってしまうと、ものすごく圧迫感が出てしまいます。なるべく透明感があって奥まで見渡せるように、展示台の下部も向こう側が見通せるようになっているんです。

次に来たのは、本館12室ですね。ここでは平安時代から江戸時代に至る各時代の漆工作品を紹介していると拝見しました。こちらの展示ケースにはどんな特徴があるのですか?

和田:展示台の端に黒い突起があり、この下にLED照明が入っています。裏側からご覧になると光っているのがわかると思いますが、下からの光をミラーで反射させて、展示物に照射しています。蒔絵作品は裏側や側面にも美しい細工があり、上からの照明だけではうまく表現できないので、補助的な光として照明を下部や側面にもまわす必要があるんです。

江戸時代につくられた「左義長蒔絵硯箱」。LEDの光をミラーに反射させて展示している

なぜ照明を展示台の中に埋め込んでいるんですか?

和田:LED照明でも僅かながら発熱してしまうので、その熱が展示物に影響を及ぼさないようにする必要があります。発光部分は展示台の脚に刺さっている状態なのですが、実はこの脚の中を展示ケースの外の空気が循環しているんです。本来展示ケースの中には外部の空気を入れてはいけないのですが、脚の部分だけ空気が入るようにして、光源の熱を外に排出しています。

本館18室に来ました。明治・大正の絵画や彫刻、工芸を中心に、日本美術の近代化を考えるうえで重要な作品を展示しているそうですね。こちらから見ると、遠くの壁まで展示ケースが並んでいます。

和田:壁際の展示までよく見えると思うんですが、ここからだと3つの展示ケースがあるので、7枚のガラス越しに展示物を見ていることになります。でも、かなりクリアに見えますよね。このクオリティの透明度を維持するのは難しいことですが、それを体感できるスペースです。

最後に、東洋館3室に来ました。明治37年にエジプト考古庁長官によって寄贈された「パシェリエンプタハ」という名前の男性のミイラだそうですね。こちらは特殊な展示ケースなのですか?

和田:展示ケース内部の酸素が極めて低い濃度で維持されています。このミイラはケースから移動させることは想定していないので、展示と収蔵保管を同時に行うためにこのような特殊なケースに入れています。ケースの中の空気をポンプで出して、酸素を取り除く薬剤が詰まったボックスを通過させ、酸素を除去した空気を再びケースの中に戻すことで低酸素を実現しているんです。

酸素濃度を低くするとどんな効果があるのですか?

和田:酸化反応を抑えることができます。酸素濃度を低くすると、いろいろなものが長持ちするんです。食品の袋にも脱酸素剤が入っていることがありますが、あれは酸素濃度が低いと食品の寿命が伸びるから。それと同じ考え方で有機物が変化しないようにしています。

展示品の収蔵庫では、サーモグラフィーの機器を使って温度の確認を行なっているそう

保存・展示のプロがおすすめするツウな鑑賞法

今日見学させていただいて、展示方法という視点では大規模な特別展よりも常設の総合文化展のほうが興味深いことに気がつきました。

和田:確かにそういう意味では、総合文化展のほうが多くの技術が凝縮された展示をしていると言えます。単位面積あたりにかけているコストは特別展より常設展示のほうが圧倒的に高いんです。展示ケースの素材のクオリティも全然違いますし。なので常設展示では展示品だけでなく、展示ケースのガラスを見ていただくのもおすすめです。

ガラスですか?

和田:低反射ガラスを使うと映り込みがないため、光の反射が気にならない見やすい展示になるんです。文化財を展示するからには光を照射するわけですが、それは文化財の寿命を縮める行為でもあります。低反射ガラスを使った展示は、文化財に照射された光を最大限に使うことにもつながり、美しいだけでなく、文化財の寿命を守る意味でも効果的な展示と言えると思います。

それからガラスの透過率にも注目していただきたいです。普通のガラスは透明ではなくて、ちょっと色がついていますよね。でも高透過なガラスを使用すれば、展示物がグッとクリアに見えるんです。

向かって右が通常のガラスで、左が低反射ガラス。まるでガラスがないように見えるため、展示品が圧倒的に見やすくなる

確かにガラスに注目して見学すると、新たな発見がありそうです。

和田:とっかかりは何でもよくて、要はどういう視点を持って博物館を見るかということに尽きると思うんです。何でもいいから自分の興味のある視点で見学してみていただきたいです。そこから、別の博物館にも行ってみよう、と思ってもらえたらいいと思っています。

まとめ

今回お話を伺ってみて、研究員のみなさんの日々の研究と緻密な計算によって、私たちは博物館で文化財をストレスなく快適に見ることができていることがわかりました。特に温度と湿度を常に適正にキープすることがとても大切なんだそうです。

和田さんは、「あくまで文化財が主役なので、本当は展示の仕組みなどは言われなければ気がつかないというのが一番いいんです」とおっしゃっていましたが、これからは陳列された作品だけでなく、展示方法もじっくり観察してしまいそうです。

話題の特別展を見るために博物館を訪れる人は多いと思いますが、ぜひ一度、東京国立博物館を訪れて常設の総合文化展をゆっくりと見学してみてはいかがですか? 展示物は常に入れ替わっていますから、何度訪れても違った楽しみを発見できるはず。展示ケースのガラスに注目してもいいですし、自分なりの鑑賞ポイントを探してみてください!

INFORMATION

東京国立博物館

〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9

公式HP:https://www.tnm.jp/

 

※入館にはオンラインによる事前予約(日時指定券)が必要となります。入館方法、開館日、開館時間、展示情報など、詳しくは公式HPでご確認ください。

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マガジンど 編集部

あらゆるものの温度について探究していく編集部。温度に対する熱意とともに、あったかいものからつめた〜いものまで、さまざまなものの温度に関する情報を皆さんへお届けします。

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