FOOD 2020.01.31

江戸前寿司店でタイ料理!? 鮮度が決め手の寿司とホットなスパイスの幸運な出会い

Masahiro Kan 36℃

伝統的な技法を用いた江戸前寿司が食べられると評判の「すがひさ」。一見、普通の寿司店ですが、以前はタイ料理屋で働いていたというオーナーで職人の菅正博さんが創作する、裏メニューが密かな話題に。職人として美味しい料理を探求し続ける菅さんの温度へのこだわりと、裏メニュー誕生秘話について聞きました。

Writer:栗山琢宏 Photographer:橋本千尋

手で握る寿司だからこその「温度」の大切さ

寿司は手で握るものなので、温度とは深い関係がありそうです。

昔は、「女性は体温が高くて変動しやすいから寿司を握るのには向かない」という説がありました。でも、男性でも体温の高い人はいますし、今はそういう時代ではないので、女性の職人さんもいらっしゃいます。

確かに手の温度が高いのは、シャリがべたついてくっついてしまうのでネタにはよくないんです。でも、それは握るときの手水に氷を入れて対応できますから。

使う魚によって、美味しい温度も違うものですか?

常温のほうが美味しいネタもあります。鮪のトロは常温のほうが、脂が溶けて甘みが出るので、ネタを切ってからしばらく常温で置いておきます。コースだったら、出す3巻手前くらいで切っておくなどの工夫をしています。ただ、正確に温度を測っているわけではないので、脂が溶けてきたときの浮き具合を見て判断します。

シャリの温度も重要だと思うのですが。

昔は冷たいシャリのほうが主流だったのですが、ネタも冷たいので何巻も続くと飽きてしまうんです。少しシャリが温かいほうがほろほろっと口でほどけていくので、今は少しシャリを温かくしている方が多いですね。

シャリを作るときにうちわであおぎますよね。あれはごはんを冷ましているんですか?

あれは酢が入ったあと、表面を乾かすという意味の方が強いです。中はまだ温かいけど、表面をパリッと張るという感じです。冷ますというよりも、表面の空気を飛ばすという役割があるんですよ。

そうだったんですね! 江戸前寿司というと仕込みに手間がかかるイメージがあります。

そうですね。それを手仕事と言うのですが、江戸時代は冷蔵庫もない時代なのですから。ごはんが腐らないように酢飯にしたり、ネタをしょうゆで漬け込んで漬けにしたり、昆布締めにして水分を抜いたりして、保存方法の手法としてさまざまな手仕事がほどこされていたんです。

歴史をたどると「寿司」という言葉は平安時代からあって、鮒ずしやなれずしは保存方法のひとつとして作られていたそうです。江戸時代の寿司屋さんは屋台でしたから、手仕事をしたネタでなければ提供できなかったんでしょうね。

うちの店でも、江戸前の五大技法「煮る」「茹でる」「漬ける」「酢締め」「昆布締め」を使ったものは一通りお出ししています。そのほか、刺し身を切った普通の握りもお出ししています。

広告営業の仕事から料理人の道へ

以前はタイ料理のお店にいらしたんですよね。

もともとは広告代理店にいて、飲食の広告営業もしていたんです。広告の仕事はお客様からの反響がダイレクトに伝わってこないですけど、飲食の仕事は反応がすぐにわかるので、「レスポンスが早くて面白いなあ」と思っていて。

趣味も料理だったので、たまたま知り合ったタイカレー屋さんから後継者がいないという話を聞いて、「この味がなくなってしまうのももったいない」と思って弟子入りしたのがきっかけです。そのときはお金もうけよりも、好きなことに飛びついた感じで、やっちゃった感はありましたけど(笑)。

タイ料理の世界に入ってみて、いかがでしたか?

もともとバックグランドに詳しかったわけではないので、勉強になりました。そこでハーブやスパイスについても学びました。パクチーも今みたいにどこにでもあるわけではなかったので、近所の農家さんに作ってもらえるようお願いして。最初は「こんなくさい葉っぱ作りたくない」と言われたんですけど、パクチーブームで儲かったみたいです(笑)。

パクチーもそうですが、スパイスも手に入りにくかったんじゃないですか?

今ではスパイス専門の農家さんも増えてきましたが、当時はタイから輸入されたものを新大久保の専門マーケットなどに買いに行きました。

スパイスには身体を温めるものもあれば冷ますものもあって、効能がそれぞれ違うんですよね。香りにも個性があって、料理によって主張の仕方も違う。シードで使うものや粉で使うもの、油で炒めて溶かすものや水溶性のものなど、一つひとつが違うので、とても面白いなと。

料理は科学的根拠に基づいたものが多いですから、そういうことを突き詰めるのが好きなんでしょうね。新メニューも常に研究していますし。素材によって熱いほうがいいのか、冷たいほうがいいのかなど、いろいろと実験して成果を発表するのが料理だと思います。

お寿司屋さんらしからぬ調味料の数々

あまりにも奥深くて面白い寿司の世界

タイ料理からという意外なスタートですが、お寿司屋さんになられた経緯を教えてください。

タイ料理屋で働くうちに、料理のことをもう少し勉強したいと思い始めたんです。ただ、調理師学校に入ってじっくりと学ぶ時間もなかったので、恵比寿にある「飲食人大学」(※1)で3カ月、寿司について学びました。

これから飲食業界で働こうとする人やすでに飲食業界で働いている人のための学校で、現場で通用する技術を短期間で習得できる。

寿司を学んでみるとまあ、奥が深い。実は僕も最初は、魚を切って握るだけと思っていたんです。ところが、江戸前の手仕事の理由などを知るうちに、「日本の伝統文化として伝えていかなければいけない」と思い始めました。そこから、寿司の世界があまりにも深くて面白くて。すっかりハマってしまい、自分でお店をやるなら寿司屋もいいなと思ったんです。

確かに研究のしがいがありそうです。

一生研究だと思います。料理の温度も常に検証して試していますし。もっと美味しくするためのいい方法はないかと、ゴールがないから突き詰めていけるのかなと。

ものすごい探求心です。開業するまではどういった道のりだったんですか?

いずれ独立はしたいけどもう少し修行したいと思っていたときに、知り合いのシェフに今のお店の物件を紹介されたんです。すごくいい物件で、「ここでやりたい」と思ったのですが、「このままやっていいのかな?」という疑問もあって。

そこで、飲食人大学の卒業生だけで運営しているお店、大阪の「千陽(ちはる)」で2カ月間の実践トレーニングをさせていただくことになりました。このときは必死でしたね。寝る間もなく、休みの日もほかの店舗で働かせてもらって、とにかくすべてを吸収するつもりで24時間ずっと寿司のことを考えていました。まあ、今もずっと寿司のことばかり考えているのですが(笑)。

24時間寿司のことを考えている菅さんが、タイ料理と寿司を融合した裏メニューを出すことになった経緯を教えてください。

タイ料理屋のときに知り合ったとてもグルメなお客さまが、お店を貸し切ったイベントによく招待してくださっていたんです。その流れで自分の店でも開催しないとならなくなりました。参加されるのは、都内のレストランを食べ歩いているような方々ばかりなので、「何か面白いことできない?」と相談されて、寿司とタイ料理のコラボが生まれました。

前々から、「トムヤムクンの酸味と寿司の酸味は合うかもしれない」と思っていたということもあって。タイの屋台には砂糖とナンプラーと酢が置いてあるじゃないですか。もともとタイ料理と酸味は相性がいいので、酢飯の寿司と合うんですよね。

ただスパイスは、素材の味を消してしまいがちになってしまうので、そこは難しいです。寿司として魚の味を楽しむときにスパイスが強すぎると、純粋にタイ料理になってしまいますから。そこをどう融合するかがポイントです。

最初はどんなメニューだったんですか?

最初の頃は、一品料理として「トムヤム風味の砂肝とザーサイ和え」とか、グリーンカレーをひき肉で炒めてドライカレーにしたものを詰めた「グリーンカレーいなり」とか、そんな感じでした。

それがあれよあれよと口コミで広がって、「変タイコース」なんて言われて評判になってしまいました(笑)。

寿司は基本的には冷たいので、食べると体温が下がり、タイ料理は上がるようなイメージがあるのですが、そのあたりはどうなんでしょう?

スパイスをいろいろ使うという意味ではタイ料理は体温が上がるかもしれません。ただ、パクチーは日本だとわさわさ入れますけど、タイではそんなに使わないんですよ。日本でいうわさびのように、抗菌作用として使っているので、ほんの少ししか使わないんですね。追いパクチーみたいな使い方をするのは、日本だけのようです。

こんな料理食べたことない!驚きの裏メニュー

では、お料理を試食させていただければと思います。

最初は表メニューで、小肌の酢締めから。江戸前の手仕事を施した正統派の握りです。

シャリの温度もちょうどよく、さっぱりとしていて美味しいお寿司です! 次は裏メニューのグリーンカレー茶碗蒸しをいただきます。

出汁ではなく、ベースはココナッツミルクで、そこにグリーンカレーのペーストと今日は白子が入っています。蒸し時間は強火で2分、弱火で8分くらい。普通の茶碗蒸しは時間が経つと「す」が入ってしまうのですが、この茶碗蒸しは膨らんじゃうんです。

驚きに満ちあふれた絶品のハイブリッド料理「グリーンカレー茶碗蒸し」

見た目は普通の茶碗蒸しですが、一口食べるとグリーンカレーの風味が口の中に広がります。かといってグリーンカレーではない、まろやかでふんわりした甘さとやさしい味わいで、美味しいです。こんな茶碗蒸し食べたことないです!次はしめさばの生春巻。

素材の味を消さないように酢を控えめにした締めサバを、なますと一緒に生春巻きで包んでいます。

海苔の代わりにライスペーパーを使っているんですね。一品料理として出てきても違和感がないです。次は、テレビでも紹介された話題のカオマンガイをいただきます。

シンプルな味わいなのに満足感がある「締めサバの生春巻き」

カオマンガイは固めに炊いたタイ米と鶏肉に、最近健康食品として注目されているモリンガを振りかけて、パクチーとガリをのせています。

鶏肉がしっとりやわらかくて、ガリの存在で寿司とのハイブリッド料理ということがわかるというか。すごく合います。このソースも絶品ですね。

ありがとうございます。ソースもオリジナルです。

寿司屋で食べていることを忘れる本格的なカオマンガイ

お寿司も裏メニューも美味しかったです。でも、裏メニューはあくまでも裏メニューなんですよね。

そうです。地元のお客さまには、純粋に寿司屋さんとして食べに来ていただいているので。ただ最近、食べログなどには寿司以外の写真も載っていて、困ったなとは思っています(笑)。

スパイスはやはり香りが強いので、裏メニューは貸し切りのときしかお出しできません。油でスパイスを炒めると匂いが残ってしまうので、なるべく油は使わないようにするなどの配慮はしています。

自分にしかできないやり方で、美味しさを追求

これからどのようなスタイルでやっていかれるのでしょうか?

変わったこともしていますけど、寿司屋としては王道を歩んで行きたい。昔ながらの伝統的な技法を大切にしながらも進化して行けたらいいなと思っています。僕の場合、何十年も寿司職人をやってきたわけではないので、長く修行された方にはなかなか追いつけないですから。僕にしかできないことはやりつつ、寿司職人としても成長していきたいです。

お店としては唯一無二の存在ですね。

裏メニューが評判になってはいますが、年配の方が寿司を食べたいといらしたときに、きちんとした寿司が食べられる寿司屋でありたい。とにかく、美味しいものを作り続けながら、美味しさを追求していきたいというだけなんです。その追求の仕方が少し他とは違うのかもしれませんけど。そのあたりは葛藤しながらやっているところです(笑)。

寿司を提供する管さん

料理が趣味だったことから、広告代理店からタイ料理店、そして寿司職人という異色の経歴をたどってきた菅さん。そのお話や試食させていただいた料理の数々からは、お客さまを喜ばせたいというホスピタリティと、寿司職人としてのブレない軸を感じました。

これからも自身の特技やアイデアを取り入れつつ進化していくとのこと。江戸前の手仕事が丁寧にほどこされたお寿司はもちろん、「変タイコース」もいつか味わってみたいものです。

INFORMATION

すがひさ

住所:神奈川県川崎市高津区久本1-16-15
電話:044-750-7369
営業時間:11:00~14:00 / 17:00~23:00
定休日:日曜日
URL:https://sugahisa.com/

PRODUCED by

菅 正博さん

広告代理店勤務を経てタイ料理の道に。もっと料理を知りたいと思い飲食人大学に通い、江戸前寿司の手仕事を一通り学ぶ。全過程終了後、大阪の江戸前寿司店「鮨 千陽」での修行などを経て、2017年4月に「鮨 すがひさ」をオープン。

マガジンど 編集部

あらゆるものの温度について探究していく編集部。温度に対する熱意とともに、あったかいものからつめた〜いものまで、さまざまなものの温度に関する情報を皆さんへお届けします。

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